狂言水如(きょうげんみずのごとし)

酒飲みの中年親父が色々な事を呟きます。

たまには集団生活でも

高校を卒業すると、ほぼ同じ時間に寝食を共にする機会がほとんどなくなる、いやゼロになると言っても言い過ぎではない。

 

私の世代はそうでもなかったが、現在の40代以上の方の中には、それこそ高校野球の寮生活のように、電話はできない・お菓子も食べられない・自由に外出もできないという環境で学生時代を過ごした方も少なくなかった。

特に成人すると、酒を飲むという余計な快楽を覚えてしまう為、門限の類の規則にかなりの窮屈さを感じてしまう人は多いのではないだろうか。

社会人を3年も経験すると、仕事の手順だったり会社や組織の状況が把握でき、「抜き方」というものを覚えてくる。例えば営業マンならサボるという事を覚え、数字あげてるんやから別にええやろ、何があかんねんという考え方が生まれてくるものなのだ。

先日とある友人が、転職に伴う長期合宿研修というものを経験したという話をしてきた。ちょっと音楽やったり、ちょっと喋ったり、その合間に酒を煽るという自堕落な生活になれて10年近くになる私には非常に興味津々で、是非とも事情を伺いたいとその友人を呼び出し、延々と話を聞いたが、現在の私にはとても耐えられそうにないものばかりだった・・・・

 

門限、合宿場内での禁酒、細かく割り振られた研修スケジュールなど、その他細かくあげればきりがないが、よくこんなところで長期間生きていられたなというのが正直な感想だった。その友人は元々画家志望で、創造性を高める為にアルバイト以外の生活では一般社会人と比べると異質な生活を送っていた。金曜日も夜になれば思いたった様にスケッチの道具を抱え家を飛び出したり、アイディアが出てこないと思えば休みなしに酒を飲み続けたり、バスキアダヴィンチに憧れていたというものあって、特に異質な雰囲気を放っていた。

絵の合間にギターを弾くことも多く、よく一緒にセッションをしていたが、その時も若干の奇行の傾向があった、そんな友人が絵の世界を諦め、普通の生活をする為に、10年ほどの遅れを取り戻す為に長期の研修合宿のある会社を選んだのだという。

今までの生活が、ある意味自由奔放だっただけに、この生活は精神的に厳しいのではないかと思い、特にその友人はこれからも趣味で絵を描き続けたいと言っていたので、実際のところどうなんやと問いただしたところ、返ってきた答えは意外にも

「いや、俺はこの生活を経験してよかったと思う。ある種の制約があるからこそ、その限定的な時空の中で最大限の創造性を発揮しようとできるからな。もしかしたら、画家を目指していたフリーターの頃よりも、より自分の中の創造性が磨かれたかもしれない。人間って最低限の枠内で能力を発揮しないと、周囲からは非凡であることを評価されないんだよ。なんだってそうだろ?やっぱりど真ん中ストライクって基準があってこそ、どこまで外せばいいのかが初めて見えてくるんだよな」

というものだった。

研修合宿を終えた彼の作品を拝見したが、同じ被写体のものを描いても、外し方の傾向に変化が現れた気がする。安定した仕事で食うに困らない状況下におかれ、精神的に安定した部分もあるかもしれないが・・・・

おかれた状況でいかにパフォーマンスを発揮するか、それは絵でも音楽でもサラリーマンの仕事でも本質は変わらないのだろうなと、友人の進化した姿を見てそう感じた。

「今の状況が悪いからダメなんだ」と不平不満を言う人は、その状況が満足した瞬間にまた次の不平不満を見つけるのだろう。宇宙に起こる事象の大半は、見方一つなのだろう。

納豆にからしがなければ、わさびでもいいじゃないか。お風呂場にタオルがなければ、手で洗えばいいじゃないか。ダンベルがなければ腕立て伏せをすればいいじゃないか。