狂言水如(きょうげんみずのごとし)

酒飲みの中年親父が色々な事を呟きます。

外出禁止令や自粛要請のその後

コロナ感染拡大以降、依然として続く自粛要請と酒類の提供禁止。自宅外での同僚や仕事関係者との懇親や友人知人との旧交を温める場所として大きな役割を果たしてきた居酒屋等の飲食店の多くが休業を余儀なくされ今窮地に立たされている。ドミニカ共和国では17:00〜翌朝5:00まで小売店含め酒類の販売提供が一切禁じられるという、日本よりも厳しい措置が敷かれている。仕事帰りの会社員や近所住民達の憩いの場となっていた(※)コルマドの経営者達は客足が激減で厳しい状態にあるという。これらの法令や自粛要請措置の法的効果や社会的波及効果については専門家の知見に任せるとして私からは触れないが、私からは日本とドミニカ共和国の両方で感じたこれらの措置下での人々の行動変容について述べたいと思う。

ドミニカ共和国では元々外食する文化が少なく、週末ともなるとスーパーマーケットでは大きな買い物カートを押して沢山の買い物をする夫婦の姿をよく見かける。特にクリスマスは日本と違い自宅でたくさんの料理を準備し、ビールやワインを傾けながら家族と共にゆっくりと時間を過ごすのが一般的だ。こういった生活様式が背景にある為か、自宅外でのモノや時間の消費への依存が日本と比べて少ない(金額の大小を抜きにして)。

ところが日本では、特に東京や大阪等の大都市圏では一人暮らしの人も多い為、自宅で食事を準備する事も少なく、また「仕事帰りに一杯」「今夜はお客さんと接待が」という機会も多い為、自粛要請により飲食店が休業する事で日常生活及び社会生活に大きな影響が出る。特に飲食店経営者やそこに卸している酒販店、更には酒蔵や醸造所蒸溜所に至っては売り上げそのものが激減し、彼らの生活基盤そのものを脅かす事態にもなっている。

自粛疲れという言葉を頻繁に耳にする日本だが、一方でドミニカ共和国は前出の生活様式が根付いている為なのか、元々陽気な国民性が基盤になっているのか、日本でいうところの自粛疲れというものを聞いたことがない(少なくとも私は)。

モノやコトの消費が、ドミニカ共和国と比して”必要以上の”金銭を介在する消費社会構造となっている日本の大都市圏に於いて、今回の措置は実体に現れているストレス以上にそれぞれが大きな負荷を感じているのではないだろうか。ディズニーランド、USJ、ミッドタウン、表参道ヒルズグランフロント大阪等、娯楽を他者に依存し且それを金銭を通して手に入れている現状では、その流れを止められると、消費社会構造に組み込まれた人々にとっては精神的に死活問題だが、近所の(※)コルマドでビール片手にダンスとお喋り、休日はビーチでビール片手にのんびり過ごす事が大半のドミニカ共和国では、消費行動に制限がかかってもストレスを感じにくいのではないかと思うし、人との触れ合いそのものが大幅に止まったという話もあまり聞かない。

外出禁止令や自粛要請が、結果として極端な消費社会に浸かり過ぎた日本人に一石を投じる事になったのは間違いないだろう。知恵を絞り、足を使い、人と人との絆とは何か?を再考する機会になったと前向きに捉えたいと思う。

 

(※)コルマド・・・・ドミニカ共和国内各地に点在する個人商店。日本でいうコンビニエンスストアに近い。軽食や飲み物、酒類を販売している。店にあるテーブルを使ってその場で定価でビールを楽しむ事ができる為、地元人々の情報交換や憩いの場となっている他、地域の雇用の創出にも一助を果たしている。